NetflixとSpotifyが変えた風景
かつて映画は映画館で観るものだった。音楽はCDを買うものだった。新聞は毎朝配達されるものだった。しかし2025年の今、これらの前提はすべて過去のものとなった。メディア産業は根本的な構造転換を遂げ、その中核にあるのは「金融化」という現象だ。
メディア産業の金融化とは、単にメディア企業が株式市場に上場することを意味しない。それは、コンテンツの制作、流通、消費のすべての段階において、金融的論理が支配的になることを指す。作品の価値は、もはや芸術性や社会的意義だけでなく、投資収益率(ROI)やユーザー獲得コスト(CAC)といった指標で測られるようになった。
サブスクリプションモデルの両義性
Netflix、Disney+、Apple TV+―これらのプラットフォームは、月額料金で無限のコンテンツを提供する。一見すると消費者にとって朗報のように思える。しかし、このモデルは同時に、メディア企業を絶え間ない成長の追求へと駆り立てる。
四半期ごとの決算発表で、投資家が最も注目するのは新規加入者数だ。わずかな成長の鈍化も株価の急落を招く。この圧力は、制作現場にも波及する。アルゴリズムが示す「完走率」や「エンゲージメント率」が、次回作の予算を左右する。クリエイターたちは、芸術的野心と数値目標の間で引き裂かれている。
データという新たな通貨
現代のメディア企業にとって、コンテンツそのものよりも価値があるのは、視聴者のデータかもしれない。何を観て、どこでスキップし、何を繰り返し視聴するか―これらの行動データは、まるで金融市場における取引データのように分析され、予測モデルの構築に使われる。
このデータ駆動型アプローチは、確実にヒットする作品を生み出す一方で、創造性の幅を狭めているという批判もある。「アルゴリズムが推奨する」作品は、既存の成功パターンの変奏に過ぎないのではないか。金融化されたメディア産業は、リスクを最小化しようとするあまり、真の革新を失いつつあるのかもしれない。
プライベートエクイティの影
近年、アメリカではプライベートエクイティファンドによるメディア企業の買収が相次いでいる。彼らの手法は一貫している―コスト削減、効率化、そして数年後の高値売却。地方新聞社がファンドに買収され、記者が解雇され、最終的に廃刊に追い込まれる。このパターンは全米で繰り返されている。
ジャーナリズムの公共的使命と、投資ファンドの利益最大化という目的は、根本的に相容れない。しかし、デジタル化による収益構造の崩壊に直面するメディア企業にとって、ファンドの資金は時に唯一の生命線となる。
クリエイターエコノミーの光と影
YouTuber、TikToker、Substackのニュースレター執筆者―個人がメディア企業となる時代が到来した。彼らは自らのコンテンツを収益化し、時には従来のメディア企業を凌ぐ影響力を持つ。
しかし、この「クリエイターエコノミー」もまた、金融化の論理から自由ではない。再生回数、フォロワー数、エンゲージメント率という指標に縛られ、アルゴリズムの変更に翻弄される。多くのクリエイターが燃え尽き症候群に陥るのは、彼らが常に成長を求められる上場企業のCEOのような立場に置かれているからだ。
文化の未来を問う
メディア産業の金融化は不可逆的な流れのように見える。しかし、我々は問い続けなければならない―効率性と収益性の追求は、豊かな文化を生み出すことができるのか。株価チャートに現れない価値を、どのように守り育てていくのか。
おそらく答えは、金融化を全面的に拒否することではなく、その力を認識した上で、いかにバランスを取るかにある。公的支援、非営利モデル、協同組合型メディアなど、オルタナティブな道を模索することが必要だ。
メディアは単なる商品ではない。それは民主主義の基盤であり、文化の担い手であり、人々の想像力を育む土壌である。金融化の波に飲み込まれることなく、メディアの本質的価値を守ること―それが、我々の世代に課された挑戦なのだと思う。
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この投稿は2025年9月19日にFBに投稿したものをこのブログに再掲したものです。
