フォークソングとプロテストの感情

思春期を迎える頃、私たちはテレビの中の笑いや歌から、次第に”街の音”へと耳を傾けるようになった。そこにあったのは、感情を表現する歌ではなく、感情そのものが剥き出しになった歌だった。それが、フォークソングだった。
ギター1本と、時に震えるような声。それは、うまく歌うための音楽ではなかった。何かを伝えたい、叫びたいという欲望が”音”になったものだった。

音は、言葉より先に世界を開く。

「歌は武器ではない。けれど、人の心を動かす。」 ピート・シーガー 敗戦後の日本。瓦礫の中から少しずつ復興していく都市で、新しい音楽文化が密かに芽生え始めていた。アメリカ兵が持ち込んだレコードやラジオ番組は、一部の熱心な若…

教室における「流行語」──テレビと集団感覚

テレビという窓を通して、私たちは皆同じ風景を見る。その光景は個々の記憶となりながらも、同時に集合的な想像力を織りなしていく。 📺 テレビ言葉の教室侵入──「バッチグー」の流行 小学校の教室には、いつも”何か&…

放送と検閲 ― ラジオ・映画・テレビの黎明期

公共の電波に声が乗る。
免許と番組表、 検閲と自主規制、 視聴率とアルゴリズムにより、 自由は管理の語彙で呼び直される。
沈黙は罰ではない。 放送コードとプラットフォーム規約の狭間で選び取られる態度である。

トランジスタラジオと「個の時間」の始まり

居間に満ちていた声は、ある日、手のひらの小さな箱へと住み替えた。世界は耳の内側に折りたたまれ、時間はひとりのために開く。
可搬という技術が、私的な聴取という詩を発明した。

記憶のラジオ 声の記憶と戦後のメディア空間

「声は人の顔であり、形であり、身体であり、私そのものである」

戦後の日本では、ラジオが「音を届ける装置」であると同時に、国家の声を浸透させるインフラでもあった。
玉音放送に始まり、天気予報、農業指導、音楽番組、戦災孤児への呼びかけまで──その「声」は、家庭という私的空間の奥へとじわじわと浸透していった¹。
私はその「声」を、はじめは意味ではなく響きとして受け取っていた。父の横で静かにラジオを聴いていたとき、言葉の意味はまだ理解できなかったが、語り手の抑揚、間合い、時に緊張を含んだ沈黙が、空気を変えるのを感じていた。
言葉の背後にある何か──それが「声の記憶」として、私の中に刻まれていったのだ。

🎨アートと知的財産の金融化

絵筆は声なき叫びを記録し、彫刻は時を越える影を刻む。だが市場に置かれた瞬間、芸術は資産となり、声は価格に換算される。 🖌️ アート金融化の四段階モデル アートは、最初からお金のために生まれたものではない。けれども、誰かの…

マンガ・アニメと金融化

コマ割りは時間を刻み、吹き出しは声を浮かび上がらせる。その声が雑誌から単行本へ、テレビから映画へ、そして世界市場へと広がったとき、マンガは物語であると同時に資産となった。 戦後日本において、文学や新聞に続く新たな「声のメ…