家族とラジオ:少年期の「耳の風景」

聴くということは、誰かの声を体内に招き入れるということだ。そこには思いがけない親密さがある。

鷲田清一『「聴く」ことの力臨床哲学試論』

幼い頃、わが家にはいつも音が流れていた。

けれどそれは、テレビのように映像に伴われた派手な音ではない。もっと静かで、もっと穏やかで、そしてどこか生活の深層に染み込むような音だった。そう──それはラジオの音だった。

夕暮れどき、台所では母が煮物をつくりながらNHK第一を聴いていた。新聞受けの隙間から差し込む西陽が、和室の畳を金色に照らし、そこにラジオの声がふわりと溶け込んでいく。誰の声だったか、何を話していたのかは覚えていない。だが、その空気ごと私はいまでも覚えている。

音楽が流れていた。ニュースが語られていた。何気ない対話が交わされていた。

けれどそれは情報ではなかった。環境そのものだった。

私にとって、音楽体験の原点は「ラジオを聴く」というより、「ラジオと共にある」という生活の感覚に近い。音楽や声が、家族の気配や時間の流れと共にあった。

だからこそ、記憶の奥から立ち上がってくるのは、歌詞でもメロディでもなく、風景のような耳の記憶なのだ。⑴


🌀耳の風景と”受信する身体”

私はその頃、ラジオを自ら「選ぶ」ことなどなかった。ダイヤルを回すのはいつも父か母だった。私はただ、その音に耳を澄ませ、身体を委ねていた。

ある種の「受信する身体」──それが、少年だった私のメディア体験の出発点だった。

のちに「メディアリテラシー」や「選択する主体」という言葉がもてはやされるようになった時代、私はふと疑問を覚えるようになった。選ぶことばかりが力だろうか? 選ばず、ただ音を受け入れていたあの感覚には、無垢な集中や、深い身体記憶があったのではないかと。⑵


🔊家族的共同体としての音

ラジオの前に集まるということは、言い換えれば同じ音を同時に聴くということだった。

それは、テレビのように画面を凝視するのとは違い、見えないものを共有するという体験だ。音によって繋がる見えない共同体──私はそれを「家族的共同体」と呼びたい。

父が時折うなずき、母が笑い、私がそれを横目に感じ取る。言葉を交わさずとも、音を通じてつながる場がそこにはあった。それは、のちに出会った音楽フェスや演劇の一体感とはまた違う、小さな、しかし深い「共鳴」だった。 しかし、それこそがプロパガンダの目指す共同体幻想の罠だったかもしれないと思うのはずっと後のことだった。


記憶の奥で鳴り続けるラジオ

今でも、ときおり当時の音がふと甦ることがある。

それは具体的な番組名やナレーターの声ではない。たとえば、どこかの喫茶店で聴いた古いAMラジオのトーンや、駅のホームから流れてくる雑音混じりのニュース。

それらがふと、記憶の底に沈んでいた情景を揺り起こす。

私の「音楽体験」は、音楽そのものから始まったのではない。

生活の音、声の気配、そして受信する身体。⑶

その静かな風景の中で、私は「音」に耳をひらいていったのだと思う。


あの頃、私たちは「音」を選ぶことなく、ただその場に満ちる声や気配を受け取っていた。

だが、戦後の日本において、ラジオやテレビは単なる情報装置ではなく、国家や企業が「声」を通して人々を包み込む装置でもあった。

その「声」は誰のものだったのか。どこから来て、誰に届くよう設計されていたのか──

次回は、その問いを手がかりに、「記憶される声」と「管理される声」の交差点を探っていく。


脚注

① ラジオの普及と家庭生活(1950年代)

NHKや民放のラジオが全国に普及し、「家の中心に置かれる音」として定着した。特に1953年のテレビ本放送以前、ラジオは家庭内の主要な情報・娯楽源だった。

📚出典:総務省『放送のあゆみ』、NHK放送博物館資料より。

② 「耳の風景」という概念

元来は環境音楽やサウンドスケープ研究における用語(R. Murray Schafer)だが、ここでは感情と記憶が再生する音響的風景という意図で使用。

📚出典:シャーファー『世界の調律』/秋野順治『音の風景を聴く』

③ 「受信する身体」の思想的背景

メディア論的には、マクルーハンの「受動的感覚」の議論や、東浩紀の情報受容論に連なるが、ここでは「無意識の共鳴装置」として再定義。

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