居間に満ちていた声は、ある日、
手のひらの小さな箱へと住み替えた。
世界は耳の内側に折りたたまれ、
時間はひとりのために開く。
可搬という技術が、
私的な聴取という詩を発明した。
🎵 私だけのラジオ体験
ラジオは、ある日突然、私のものになった。
それまで家族の中心にあった”音の装置”が、小さな箱になり、私の手元にやってきたのだ。
それが、トランジスタラジオだった。
1955年、SONYからTR-55登場以降、小型化と可搬化が一気に進んだ¹。
高度成長期の半ば、小遣いをため、あるいは入学祝いでもらったトランジスタラジオ。私の場合はその小さな装置を、枕元に、鞄の中に、机の引き出しの奥に──自分の気配の届く範囲にだけ置いた。
それはただの家電製品ではない。「声の所有」と「聴く自由」を初めて実感させてくれた存在だった。
🎧 聴く時間の”私化”
トランジスタラジオによって生まれたのは、「情報の多様化」ではなかった。時間の裂け目だった。
家族で囲む食卓や、クラスで聴く校内放送とは別に、自分だけの”聴く時間”が、夜の布団の中にこっそり生まれた。
深夜ラジオがなぜあれほど心をつかんだのか。パーソナリティの声がまるで自分にだけ話しかけているように感じられたのはなぜか。
それは、「メディアが私に語る」という擬似的な“私への語り”感覚が、身体感覚として成立していたからだ。
📻 個とメディアの初めての交差点
このとき、私たちは初めて、メディアと一対一で向き合うことになった。
一種の恋愛体験に近い出来事でもある。
うまく波長が合ったときの喜び、ノイズが混じるときの苛立ち、好きな音楽が突然流れたときの高揚──
それまで”流れてきた”音が、選び取られるものに変わっていく瞬間だった。
番組表を調べ、アンテナを微調整し、深夜の静寂の中で「誰にも知られずに聴く」という快感があった。
トランジスタラジオは、個人にとっての最初の”情報編集体験”だったのかもしれない¹。周波数選択、時間選択、内容選択という“三つの選択”が個人に移った、という意味で。
🧍♂️音は、個人の内側に降りてきた
ここで重要なのは、「聴く自由」を得たという事実だけではない。音が生活の風景ではなく、自分の”内側”に届くようになったということだ。
私の耳と音のあいだには、もう家族も社会も挟まっていない。それは孤独であり、同時に解放でもあった。
言い換えれば、“個”という感覚が、音を通じて身体に宿ったのだ²。
📡 音の私化から生まれた新しい共同性
だが不思議なことに、こうして個別化されたラジオ体験は、やがて「新しいつながり」を生み出し始める。
同じ番組を聴いていた友人との会話。ハガキ職人として番組に参加し、読まれる喜び。好きなパーソナリティの話し方や選曲センスを真似するクラスメイト。
そこには、かつての家族ラジオとは異なる、趣味・嗜好で結びつく”非血縁共同体”が育ち始めていた³。番組やパーソナリティを媒介にした緩やかな共同性だった。
こうして私たちは、「声」が個人の内部に宿る転回を経験した。だが、同時に私たちのまわりでは、テレビという新たなメディアが台頭し、教室の中、家庭の中心で”感情の共有”が始まっていた──
📎脚注・参考文献
[1]トランジスタラジオの普及と価格変動
1955年にソニーが世界初の日本製トランジスタラジオ「TR-55」を発売。60年代には中高生の間にも普及。
📚出典:ソニー企業史アーカイブ
[2]メディアと個人化の進展
メディア史において、ラジオの“可搬化”は「メディアと個人の関係性」を大きく転換させた重要な技術的転換点とされる。
📚出典:マーシャル・マクルーハン『メディア論』/Raymond Williams, Television: Technology and Cultural Form
[3]深夜ラジオ文化と若者の感情形成
オールナイトニッポンなどの深夜番組は、自己表現・共感・反抗の回路として機能した。
📚出典:総務省『放送のあゆみ』/NHK放送文化研究所『放送研究と調査』(深夜放送・若者文化関連論文)/ニッポン放送社史(ANN通史・編成資料)
