深夜、周波数は心拍と同調する。
見えないアンテナが胸の内に伸び、
どこかの誰かの孤独と結線される。
言葉は光ではなく、微かなノイズをまとった風として届く。
選局とは、世界の無数の沈黙から、たった一つの声を選ぶ儀式だった。
「おい、聞いてるか?」――夜、ひとりに語りかける声があった。
団塊の世代が青春を過ごした1960年代末、日本中の深夜に若者の耳を虜にしたのが「深夜ラジオ」だった。NHKの規制が緩み、民放ラジオが夜間帯にも放送枠を拡大しはじめたことで、24時以降のラジオ番組は、テレビが沈黙した後のもうひとつの”語りの場”として開かれていった。
たとえば、文化放送《セイ!ヤング》(1969年〜1987年)では、フォーク歌手の吉田拓郎が「タクロー、タクロー!」という掛け声とともに番組を盛り上げ、若者の悩みに答える”兄貴分”として親しまれた。ニッポン放送《オールナイトニッポン》(1967年〜現在)では、笑福亭鶴光が下ネタと時事ネタを巧みに絡め、若者の鬱屈や皮肉を笑いに変えた。
深夜ラジオは、単なる娯楽ではなかった。そこには、放送禁止ワードや政治的話題がテレビよりも柔軟に扱える“自由な空間”があった。あるいは、性の話、学校や親への不満、就職への不安など、”公”では語れない私的な苦悩が、パーソナリティの語りとリスナーの投稿で「共有」される場でもあった。
深夜ラジオと個人の声 ― 親密性とサブカルチャーの回路
戦後日本のメディア史のなかで、深夜ラジオは特異な場所を占めてきた。それは、決してメインストリームの情報伝達手段ではなく、むしろ「主流」からこぼれ落ちる声や、孤独な若者のつぶやきを拾い上げるような、親密な空間だった。
1967年に始まったTBSラジオ《パックインミュージック》は、まさにその象徴である。野沢那智と白石冬美の「ナチチャコ」コンビによる即興的で戯画的なやりとりは、聴く者の夜を滑らかに撫で、恋愛相談や日常の悩み、時には人生の深淵にまで触れた。リスナーは「友だち」ではなく、「声でつながる他者」として、そこに耳を預けていた。
深夜ラジオの語り手たち ― パーソナリティが紡いだ音楽文化
この時期、糸居五郎(通称:糸井吾郎)は、流麗な英語混じりの語りでプレスリーやリトル・リチャード、ビル・ヘイリーらを紹介し、日本におけるロックンロール伝播の鍵を握った。彼の名セリフ「Here comes Elvis Presley!」は、まさに声によるロック革命の号令だった。
ランキング文化の誕生 ― 放送とヒットの連動構造
一方、高崎一郎はTBS《ビッグヒット20》の司会として、レコード売上とリクエスト数の集計という「ランキング文化」を生んだ。彼の番組では、レコード会社との連携もあり「今週の推薦盤」などの形で新譜が強くプッシュされる。これは、1970年代におけるオリコンランキングと連動し、放送=ヒットの仕組みを裏で支えていた構造の一端をなす。
ラジオの深夜帯は、こうしたパーソナリティの語りと、レコード会社との利害が交差する空間でもあった。放送回数が多ければ、その曲は自然とレコード店で売れる。逆に、レコード会社が”推したい”曲を、パーソナリティが「これはいいよ」と紹介することで、リスナーの記憶に残るヒットとなった。推薦・依頼・友情・忖度――そうした“裏の文法”があったことは、業界の中では暗黙の了解だった。
深夜放送の名パーソナリティたち ― 若者文化の架け橋
そして忘れてはならないのが、《オールナイトニッポン》の創設とその担い手たちだ。初代ディレクターでありパーソナリティも務めた亀渕昭信(カメさん)は、ビートルズやストーンズを自然体で紹介しながら、洋楽とリスナーの距離を一気に縮めた。彼の語り口には、ある種の「翻訳されないまま伝える」力があり、それが若者たちに”異文化との出会い”を生々しく提供した。
また、山本コウタローは《セイ!ヤング》で、自らのフォーク活動と連動しながら、ベトナム戦争や環境問題にまで言及するパーソナリティとして異彩を放った。TBSの斉藤安弘(アンコーさん)は、文芸的朗読と映画音楽を融合させた語りで、文学少年たちの”もうひとつの教養”となり、小島一慶は明朗快活なスタイルで「深夜の陽光」を届けた。さらに、FM時代に入ってからはピーター・バラカンが登場し、ワールドミュージックやルーツ音楽の真摯な語り部としてのラジオを切り拓いていった。
ラジオと資本 ― 声のメディアの葛藤
アメリカでも同時期、アラン・フリードが「ロックンロール」という言葉を広めながら、黒人音楽を白人社会へと接続する存在となったが、同時に彼の影響力の大きさはペイオラ問題(放送枠買収スキャンダル)を招いた。これは、ラジオという「声の自由市場」が、いかに資本と結びついていたかを物語る象徴的事件である。
ペイオラ問題(放送枠買収スキャンダル)とは、1950年代アメリカで発生したラジオ業界のスキャンダルだ。「ペイオラ」(payola)とは「pay」と「Victrola」(蓄音機ブランド)を組み合わせた造語で、レコード会社がDJやラジオ局に金銭や利益を与え、特定の楽曲を放送させる不正な慣行を指す。
アラン・フリードなど影響力のあるDJたちが、レコード会社から報酬を受け取って特定の曲を放送していたことが発覚し、大きな社会問題となった。これは表向きは「自由な選曲」に見えるラジオ放送が、実際には商業的利害関係に左右されていたことを露呈させた事件だ。
この問題は、音楽産業とメディアの関係性、特に「声のメディア」としてのラジオが持つ影響力と資本主義との複雑な関係を象徴していた。
ラジオ文化の変容 ― 手紙からデジタルへ
日本においては、1980〜90年代にかけてラジオはさらに親密な“手紙文化”へと進化していく。たとえば、伊集院光《深夜の馬鹿力》では、ハガキ職人たちが番組と共に「名を持つ声」となり、音楽ではなく語りそのものが、番組の主役になったのだ。
そして21世紀、SpotifyやYouTubeが登場すると、選曲や語りは「機械」や「本人」へと戻ってきた。藤井風やKing Gnuらは、動画の中でラジオ的な語りを試み、コメント欄は”デジタル時代の投稿欄”となった。SpotifyのAIリコメンドもまた、どこかで往年のDJの代替物であるかのようだ。
「おじいちゃんの時代は、深夜放送ってのがあってさ、そこから生まれた曲や言葉があったんだよ」 「ふーん。でも今の私のプレイリストも、Spotifyが”あなただけに”って言ってくれるよ」
――リクエスト文化は、形を変えてもなお、”声の交信”という本質を失っていない。
