詩は遠くの誰かにでなく、ここにいる私たちへ届く。
— 山崎佳代子『詩と連帯の風景』
フォークソングとプロテストの感情
🎵 生の声、街の音
思春期を迎える頃、私たちはテレビの中の笑いや歌から、次第に”街の音”へと耳を傾けるようになった。そこにあったのは、感情を表現する歌ではなく、感情そのものが剥き出しになった歌だった。それが、フォークソングだった。
ギター1本と、時に震えるような声。それは、うまく歌うための音楽ではなかった。何かを伝えたい、叫びたいという欲望が”音”になったものだった。
🎸怒りや痛みを「歌」に変える
60年代末、キャンパスや街頭には、ギターを抱えた若者たちの姿があった。岡林信康《山谷ブルース》、高石ともや《受験生ブルース》、五つの赤い風船《遠い世界に》。どれもが、日常の中にある怒り・哀しみ・願いを、そのまま声にしたような歌だった。
フォークソングは、メディアの外側にあった。テレビに”選ばれない声”、ラジオからはみ出す歌詞、商業に馴染まない旋律。けれど、それゆえに、そこには”生”があった。
✊「感情の政治化」ということ
フォークの衝撃は、技術でもジャンルでもない。それは、個人の感情が社会に突き刺さる瞬間を、歌として共有することだった。恋愛の不安、将来の不透明さ、理不尽な制度への怒り──。それらはそれまで「個人的なこと」として胸の内にしまわれていた。
だがフォークソングは、それらを「社会に対する問い」として投げかけた。感情は、ただの内面ではなく、”関係の裂け目”を照らし出す光だった。
🎶日常の言葉で語る詩
フォークの歌詞は難しくない。口語で、くだけた言葉で、ときに繰り返しで構成されている。だがそこには、切実さがあった。
「死にたくないという声が 風に消されていった」 「誰にも言えなかった夢が 電車の音に飲まれた」
こうした言葉は、“詩”であると同時に”報告”でもあった。街の中で交差する生の断片──それを拾い上げ、ギターに乗せて差し出す。それが、フォークだった。
🪶歌が”私たち”をつくっていく
不思議なことに、バラバラの感情を抱えていたはずの私たちが、フォークソングを通して”われら”という感覚を持ち始めた。ひとつの歌を複数人で歌うこと。
誰かの声にハモりながら、自分の声もそこに重ねていくこと。それは、共同性の予感だった。フォークは、プロテストであると同時に、“連帯の種”でもあった。
歌を通じて感情を共有し、”われら”を感じ始めた私たちは、やがてもっと自由で直接的な表現を求めて、街へと出ていった。
📚️参考文献
📚中川五郎『ぼくが歌う場所』:平凡社/2021年
📚北中正和『日本のフォーク&ロック史』:立東社/2017年
📚西村朗『言葉と声の民俗学』
📚ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体 ― 哲学を問い直す分有の思考』:以文社/2001年6月15日(訳者:西谷修・安原伸一朗、原著1999)
