エレキギターという存在と出会ったのは確か高校生だったように記憶している。「ザ・ベンチャーズ」の来日(1965年)と「ザ・ビートルズ」の来日(1966年)が決定打となり、日本中の若者がエレキギターに熱狂した世に言う「エレキ…
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音は、言葉より先に世界を開く。
「歌は武器ではない。けれど、人の心を動かす。」 ピート・シーガー 敗戦後の日本。瓦礫の中から少しずつ復興していく都市で、新しい音楽文化が密かに芽生え始めていた。アメリカ兵が持ち込んだレコードやラジオ番組は、一部の熱心な若…
教室における「流行語」──テレビと集団感覚
テレビという窓を通して、私たちは皆同じ風景を見る。その光景は個々の記憶となりながらも、同時に集合的な想像力を織りなしていく。 📺 テレビ言葉の教室侵入──「バッチグー」の流行 小学校の教室には、いつも”何か&…
深夜ラジオと個人の声 ― 親密性とサブカルチャーの回路
深夜、周波数は心拍と同調する。 見えないアンテナが胸の内に伸び、どこかの誰かの孤独と結線される。 言葉は光ではなく、微かなノイズをまとった風として届く。 選局とは、世界の無数の沈黙から、たった一つの声を選ぶ儀式だった。 …
放送と検閲 ― ラジオ・映画・テレビの黎明期
公共の電波に声が乗る。 免許と番組表、 検閲と自主規制、 視聴率とアルゴリズムにより、 自由は管理の語彙で呼び直される。 沈黙は罰ではない。 放送コードとプラットフォーム規約の狭間で選び取られる態度である。
トランジスタラジオと「個の時間」の始まり
居間に満ちていた声は、ある日、手のひらの小さな箱へと住み替えた。世界は耳の内側に折りたたまれ、時間はひとりのために開く。 可搬という技術が、私的な聴取という詩を発明した。
記憶のラジオ 声の記憶と戦後のメディア空間
「声は人の顔であり、形であり、身体であり、私そのものである」
戦後の日本では、ラジオが「音を届ける装置」であると同時に、国家の声を浸透させるインフラでもあった。 玉音放送に始まり、天気予報、農業指導、音楽番組、戦災孤児への呼びかけまで──その「声」は、家庭という私的空間の奥へとじわじわと浸透していった¹。 私はその「声」を、はじめは意味ではなく響きとして受け取っていた。父の横で静かにラジオを聴いていたとき、言葉の意味はまだ理解できなかったが、語り手の抑揚、間合い、時に緊張を含んだ沈黙が、空気を変えるのを感じていた。 言葉の背後にある何か──それが「声の記憶」として、私の中に刻まれていったのだ。
家族とラジオ:少年期の「耳の風景」
“聴くということは、誰かの声を体内に招き入れるということだ。そこには思いがけない親密さがある。”
首輪は誰の手に ──Macと私とサブスク地獄
『Macを連れて散歩しよう』──そんな連載をMacFan誌で10年も続けていた。今読み返すと、なにやらほのぼのしたタイトルだ。ペットのようにMacを連れ、街角のカフェで原稿を書いたり、公園のベンチで物思いにふけったり。あ…
