公共の電波に声が乗る。
免許と番組表、 検閲と自主規制、 視聴率とアルゴリズムにより、 自由は管理の語彙で呼び直される。
沈黙は罰ではない。 放送コードとプラットフォーム規約の狭間で選び取られる態度である。
アメリカにおけるラジオの規制
ラジオの登場は、音楽と言葉の「送り方」を根底から変えた。
1920年代、アメリカでは商業ラジオが本格的に始まり、同時に「放送とは何を流す権利があるのか」という問いが生まれた。連邦通信委員会(FCC)の設立(1934年)は、技術の普及だけでなく、「公共の利益・利便・必要(public interest, convenience, and necessity)」を基準に「公共の倫理に反しない内容」をどう担保するかという規範の強制でもあった。音楽、宗教、政治的言説――それらすべてが「電波」という公共インフラを通す以上、監視されうる対象となったのだ¹ ²。
ここでは、この「公共性」を旗印にした規制が、日本の戦時・戦後の放送実務でどう具体化したかを見る。
日本でも、NHKが1930年代にラジオ放送を全国化するにつれ、放送内容には「国策に沿う」ことが当然とされる空気が強まった。戦時中には、流行歌の旋律すら検閲の対象となった。例えば、『夜のプラットホーム』(1939)は“厭戦的・軟弱”を理由に発売禁止となった³。
規制の枠組みだけでなく、耳が受け取る主体が世代によってどう変わったかも見てみよう。
団塊の世代にとってのラジオは、GHQの占領政策の下で解禁されたジャズや米軍放送(FEN)とともに、「戦後民主主義」の音として耳に届いた⁴ ⁵。
私の孫世代にとってのラジオは、YouTubeの動画の片隅にある「作業用BGM」や、Spotifyのアルゴリズムが選んだプレイリストに近いかもしれない。どちらも「届けられるもの」であるが、選ぶ主体が誰かは、世代によってまったく異なっている。
映画と自己検閲
ラジオと並行して進化した映画もまた、「語り」のメディアだった。しかしそこにも検閲はつきまとう。電波=公共性/スクリーン=興行性という差異が、規制手法の違いを生んだ。
ハリウッドが自己規制として導入したヘイズ・コード(1934年〜)は、PCA(Production Code Administration)による事前審査を通じ、暴力・性表現・政治的主張を抑制する一連のガイドラインを厳格運用した⁶ ⁷ ⁸。
日本でも、映画は1940年代から長く「文部省推薦」や「家族向け」などの分類がなされ、製作者はしばし“見せてはいけないこと”に対する無言の検閲と闘う必要があった。例えば大島渚監督の『愛のコリーダ』(1976年)は性描写の過激さから日本国内での一般公開が長く難しく⁹、伊丹十三監督の『マルサの女』(1987年)は国税局への批判的描写が問題視され、公開前に複数のシーンを自主的に修正した経緯がある¹⁰。
そしてテレビ――、スクリーン上の自己規制が、家庭内の受像機を通じてどのように「国家的ナラティブ」と結びついたかを見てみる。
1953年に日本初のテレビ本放送が始まると、家電の急速な普及とともに“家庭の中にナラティブ、つまり政府や企業が望む価値観や物語”が流れ込んだ。ニュース、ドラマ、教育番組、紅白歌合戦……そのすべてが、統制の届く範囲で「感動」や「常識」を設計した。
受動的視聴から能動的選択へ
1950〜60年代を生きた読者にとって、テレビは「見せられる側」であった。NHKや民放の決めた番組表がその日の会話を決め、視聴率が「国民的番組」を選んだ。
だが今日では、子や孫たちはTikTokやNetflixで自ら”選ぶ”ふりをしている。だがその「選択肢」そのものが、アルゴリズムによってあらかじめフィルターされたものだとしたら――それは本当に自由な選択なのだろうか?
メディアと権力の相関
このように、ラジオ・映画・テレビの黎明期には、技術的革新の影で「誰が放送できるか/できないか」という支配構造が静かに構築されていた。
そしてそれは、今日のメディアにもかたちを変えて受け継がれている。規制の主体は国家からプラットフォームへ、評価指標は“道徳”からアルゴリズムへと変化した。表現の自由は、一つの法律や制度によって守られるのではなく、それを”届ける仕組み”そのものが、問い直されるべき時代にある。
参考文献・出典一覧
- Federal Communications Commission (FCC) 概説
- FCCの歴史と役割(ビジネス事典)
- 『夜のプラットホーム』発売禁止の経緯(レファレンス協同データベース)
- 第1章 1-2 声の記憶と戦後のメディア空間(内部資料)
- 深夜ラジオと個人の声(内部資料)
- Motion Picture Production Code(ヘイズ・コード)概説
- Hays Code(Research Starters)
- Hays Code(Wikipedia 概説)
- In the Realm of the Senses:Some Notes on Oshima and Pornography
- A Hundred Years of Japanese Film
