横浜に住んでいた頃、お茶がうまかった。そのことに、当時は気づきもしなかった。御代田に移り住んで、はじめて気づいた。同じ茶葉、同じ淹れ方なのに、どうも味が出ない。香りが立たず、甘みも薄い。最初は自分の腕を疑った。けれど、どうやら犯人は水らしい。
水には、硬さがある。カルシウムやマグネシウムをどれだけ含むかで決まる「硬度」だ。これが多い水を硬水、少ない水を軟水と呼ぶ。世界保健機関の区分では、硬度120を境に分かれる【注1】。日本の水道水は、ほとんどが軟水か、それに近い。横浜もそうだ。
ところが御代田は、事情が違った。
御代田町が公表している水質検査結果を見ると、町内でも蛇口によって硬度がまるで違う【注2】。塩野の配水池は51でやわらかい軟水。けれど、御代田第2や長坂第1の配水池では、夏場に200前後まで上がる。明確な硬水だ。御代田の水道は、浅間山系の地下水や湧水を多く含む。火山の山麓を長い時間かけて通ってきた水は、ミネラルを溶かし込んで硬くなる。横浜の倍以上の硬さの水で、私は毎朝お茶を淹れていたことになる。
お茶の味が出ないのには、理由がある。緑茶の甘みや香りは、軟水のほうがよく抽出される。硬水に含まれるカルシウムやマグネシウムは、茶の成分が出るのを邪魔してしまう。横浜の軟水で出ていた味が、御代田の硬水では出ない。腕のせいではなかった。
味の違いは、お茶だけにとどまらない。米を炊くときも、軟水のほうが米の芝まで水が浸み込みやすく、ふっくらと粒の立った炊き上がりになるという【注3】。毎日の一杯のお茶、一膳のご飯。その出来を、蛇口の水の硬さが、知らぬところで左右していた。
硬水が困らせるのは、舌だけではない。
風呂釜や給湯器の傷みが早い、という話を、この土地ではよく聞く。これも硬水のしわざだ。硬水に溶けたカルシウムは、加熱されると「スケール」という硬い結晶になって、配管や釜の内壁にこびりつく【注4】。地下水や湧水を使う地域ほど、ミネラルが多く、スケールも出やすい。給湯器メーカーが、硬水地域向けの専用機種をわざわざ売っているほどだ【注5】。水の硬さは、味の問題にとどまらず、暮らしの設備を静かに削り、家計にまで響いてくる。
だから、水を選ぶ人がいる。
我が家の隣で、息子が「green room」というバーを営んでいる。西軽井沢だ。この店では、水道水を使わない。以前は御代田・豊昇の、広戸発電所のそばに湧く水を汲んでいた。いまは、小諸の「弁天の清水」を汲んでくる。旧東山道の宿場に古くから湧く名水で、毎分およそ36リットルが絶えることなく流れ出る【注6】。この水が、ただの名水ではない。硬水だらけの浅間山系のなかで、唯一の軟水とされている【注7】。
つまり息子は、硬水の土地で、わざわざ軟水を選んで汲んでいる。コーヒーや酒は、水のミネラルに敏感だ。軟水のほうが、豆や酒の持ち味を素直に引き出す。プロが舌で水を選び分けている、その行為が、足元の地理と水の科学に、きれいに裏打ちされていた。
水に、最適解はない。緑茶や出汁の繊細な味を引き出すなら軟水がいい。けれど、ミネラル感のある水を好む料理や飲み物もある。ヨーロッパの硬水は、紅茶やコーヒー、煮込み料理の文化を育てた。日本の軟水は、出汁を引き、米を炊き、緑茶を淹れる文化を育てた。土地の水の硬さが、その土地の食卓の形を、長いあいだ静かに決めてきた。
御代田の硬水で淹れたお茶は、いまも、あまりうまくない。けれど、それを嘆く前に、考える。この一杯の渋さの向こうに、浅間山の火山灰と、地下を巡る水の長い旅がある。水を選ぶとは、土地を知ることだ。
足元から、世界にぶつかる。
この記事は、AIを使って収集したデータをもとに編集したものです。
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